金正恩、スポーツ観戦|2023年2月17日
2023年2月17日、北朝鮮政府のポータルサイト「ネナラ」からのニュース。
北朝鮮最大のめでたい光明星節を記念してのスポーツ競技を金正恩が観戦した。
民族最大のめでたい光明星節(金正日同志の誕生日)を記念して2月17日、内閣と国防省の職員間のスポーツ競技が行われた。
朝鮮労働党総書記で朝鮮民主主義人民共和国国務委員長である敬愛する金正恩同志が、競技を観戦した。
http://www.naenara.com.kp/main/index/ja/first
北朝鮮、ミサイル発射訓練|2023年2月18日
2023年2月18日、北朝鮮政府のポータルサイト「ネナラ」からのニュース。
大陸間弾道ミサイル(ICBM)発射訓練が2月18日の午後に行われた。
http://www.naenara.com.kp/main/index/ja/first
金正恩、住宅建設について熱く語る|2023年2月17日
2023年2月17日、北朝鮮政府のポータルサイト「ネナラ」からのニュース。
金正恩総書記は昨年末に開かれた朝鮮労働党中央委員会第8期第6回総会で、住宅建設は世紀的な変革をもたらす今一つの革命であると述べた。
振り返るに、共和国の社会主義建設は大きな住宅建設で奇跡的な変革の道程を綴ってきた過程だとも言える。
祖国解放戦争(朝鮮戦争)後、廃墟を取り払って立ち上がった勝利通りから楽園通りと琵琶通り、蒼光通りと紋繍通り、凱旋通り、青春通り、光復通り、統一通り、万寿台通り…
時代を代表する通りが一つ一つ建設され、首都が変貌を遂げるたびに朝鮮は社会のあらゆる時代遅れの遺物を一掃しながら飛躍的な前進を遂げた。
最近10年間にも朝鮮は、社会主義建設が人民に実際的な福祉をもたらす偉大な革命活動にならしめるために首都に近代的な街を相次いで建設した。
倉田通り、銀河科学者通り、未来科学者通り、黎明通り、松花通り、普通江川岸段々式住宅区と完成段階で推進されている和盛通りの1万世帯の住宅…
たとえ、困難で骨が折れても先を見通しながら自力で築き上げた一つ一つの住宅は朝鮮人民と次世代に与えられる福楽の拠り所、国家復興の強固な基礎となった。
これには、朝鮮人民を世界で一番幸せな人民になるようにするのが自身の理想だとして、人民の夢を自身の理想と抱負とする総書記の熱い人民愛の世界、鉄の意志が映っている。
総書記はチュチェ110(2021)年3月、平壌市1万世帯住宅建設の着工式に出て行った演説で、今年の初めにあった第8回党大会と党中央委員会第8期第2回総会は、5カ年計画期間に全国的に住宅建設を強力に推進するとともに、首都だけにも5万世帯の住宅を建設し、そのために毎年1万世帯ずつ建設することを決定したと述べた。
そして、偉大なわが国家の首都平壌に5万世帯の近代的な住宅を建設することは、首都市民により安定した文化的な生活条件を提供するために朝鮮労働党が大胆に構想し、準備してきた宿願事業である、朝鮮労働党と国家が示した大規模の住宅建設作戦は、何らかの経済的利益のためのものではなく、徹頭徹尾、国家の財貨と勤労者大衆の創造的労働の結果がそのまま勤労者自身の福利となるようにする崇高な事業であると述べた。
総書記は、国事に多忙な中でも1万世帯住宅の建設と関連した文書を一つ一つ検討し、建設における問題を最優先的に解決した。総書記が指導した住宅設計の形成図案だけでも1000余件に達するという。
人民に最高のものを与えるためにあれほど心血を注ぐ総書記の献身の労苦の中で、近代的で特色ある80階建て超高層アパートをはじめ多様な超高層、高層アパートと保健医療、教育、便益・サービス施設が便利なように配置され、各休息公園、高架橋、装飾構造物が住民地区と芸術的調和を織り成した特色ある松花通りがわずか1年の間に建設されるようになった。
普通江川岸段々式住宅区も同じである。
総書記は1年足らずの間にも240余枚の設計図案を検討して豪華住宅としての面貌が生かされるように細心に指導し、数回にわたって建設現場を訪ねて部屋の各要素と休息区、歩道と交通手段、一本の木に至るまで一々関心を向けた。住宅区の名称も美しい玉の楼閣という意味で象徴的に、意味もある「瓊楼洞」とつけた。
このようにして建設された首都の通りと住宅区である。
人民を天のごとくみなし人民のためにすべてをささげる総書記の熱い人民愛と鉄の意志によって、今日平壌では今一つの新しい通りを建設するための事業が強力に推進されている。
昨年末に開かれた党中央委員会第8期第6回総会では、世紀的な変革をもたらす一つの革命であり、人民が一番喜ぶ事業である住宅建設を第1次的な重要政策課題とし、平壌市5万世帯住宅建設の三度目の年に首都建設をより大掛かりに展開して和盛地区第2段階1万世帯の建設とともに、新たな3700世帯をさらに建設するという課題が提示された。
今や、朝鮮労働党の雄大な構想によって時代文明の高さにふさわしい新しい街と建築群が形成されれば朝鮮の首都はいっそう華麗に変容するであろうし、これは最も苦難に満ちた栄えある21世紀20年代を象徴する意義深い記念碑になるであろう。
今日、朝鮮で強力に展開されている住宅建設は美しい未来と新時代の文明を創造しながら世紀的な変革を遂げている朝鮮人民と、絶えず飛躍し前進している朝鮮の姿を見せる生き生きとした絵巻だと言える。
金正恩、記念撮影|2023年2月15日
2023年2月15日、北朝鮮政府のポータルサイト「ネナラ」からのニュース。
金正恩総書記が建軍節慶祝行事に特別代表として招待された軍支援美風熱誠者らに会って記念写真を撮る。
朝鮮労働党総書記で朝鮮民主主義人民共和国国務委員長である敬愛する金正恩同志が2月14日、朝鮮人民軍創建75周年慶祝行事に特別代表として招待されて意義深い平壌滞在の日々を過ごした軍支援美風熱誠者たちに会って記念写真を撮った。
敬愛する金正恩総書記をいただいて盛大に挙行された建軍節慶祝行事に参加して偉大なわが国家の子孫万代の安全と繁栄をしっかり保証する荘厳な軍事力誇示を胸いっぱいに体感し、党中央の格別な恩情の中で一生の追憶として貴重に刻み付けられる無上の幸福を享受したのに続けて寝ても覚めてもまみえたかった金正恩総書記の慈愛深い懐に抱かれて光栄の記念写真を撮る最大の願いをかなえるようになった参加者は大いなる激情と歓喜に包まれていた。
金正恩総書記が撮影場に姿を現すと、全ての参加者は母なる祖国のために当然な本分を果たした自分たちを全国の大慶事として挙行される最上最大の政治・軍事祭典に特別に招いてくれ、代をついで末永く伝える大いなる愛と恩恵を重ねて施してくれる偉大な慈父を仰いで感激の歓呼を声の限り上げながらこぼれる涙を抑えられなかった。
金正恩総書記は、参加者の熱狂の歓呼に温かく答礼し、祖国防衛の前哨に血縁の情をつないで平凡な日にも試練の日にも変わることなく革命武力強化の道に純潔な良心と愛国至誠を尽くしていく軍支援美風熱誠者たちに温かい激励と感謝のあいさつを送った。
金正恩総書記は、わが革命武力の上昇一路の歩武ごとには党の強兵建設路線と軍事重視政策を絶対の真理、生の第一の要求として受け止め、富国強兵の大業実現に元肥となってくれた真の愛国者たちの誉れ高い貢献と苦労が濃く秘められていると胸熱く述べた。
金正恩総書記は、強力な国防がなくては強国建設を考えることはできないということを誰より痛感し、軍支援が第一の愛国であることをよく知っているので全てが困難な中でも子息をみんな防衛線の哨所に立たせ、祖国防衛の塹壕を軍人たちと共に守るという崇高な自覚をもって軍支援の道を黙々と歩んでいると述べ、軍支援美風熱誠者たちの高潔な精神世界を高く評価した。
金正恩総書記は、軍支援美風熱誠者たちの精神こそ苛烈を極めた砲火の中の前線援護の道を切り抜けていた1950年代の南江村の女性たちの百折不撓の強靭さの生きた息吹であり、戦後の廃虚の上でも家事より国事を先に考え、国の垣根を金城鉄壁にしっかりと積み上げたチョンリマ(千里馬)時代の人間たちの偉大な愛国精神の連綿たる継承であると述べ、社会主義建設の全面的発展を目指すこんにちの闘いでこのような精神は当然、前列に押し立てなければならず、みんなが見習うべき模範であると強調した。
金正恩総書記は、戦勝をもたらした試練より長々70年間戦勝を守ってきた試練がより高貴なものであると言い、わが国家の絶対的力を全面的に固める長程に埋めてきた彼らの熱烈な忠心があって偉大な戦勝の70年歴史を輝かしてくることができたと切々と述べた。
金正恩総書記は、軍支援美風熱誠者たちが今後もわが軍隊第一主義のスローガンを高く掲げてチュチェ朝鮮特有の国風である軍支援気風をさらに昇華させていく上で愛国者の典型としての真の生を変わることなく継いでいくとの期待を表明しながら彼らと記念写真を撮った。
記念撮影が終わると、またもや嵐のような「万歳!」の歓呼が上がった。
金正恩総書記は、感激の涙で両頬を濡らす軍支援美風熱誠者たちに長い間手を振って答礼した。
金正恩総書記は、祖国の歴史に特記すべき戦勝70周年慶祝行事にこのありがたい軍支援美風熱誠者たちを再び特別代表として招請するであろうと述べ、みんなが健康で、安泰であることを胸熱く願った。
敬愛する金正恩総書記の温かい祝福を受けた全ての参加者は、無敵の銃剣にわれわれの尊厳、生命である社会主義の勝利があるという哲理を胸深く刻み付けてわが党と国家、人民の誇り、名誉である百戦百勝の英雄軍隊朝鮮人民軍の強化・発展のための誇らしい軍支援事業に心身をことごとくささげていくという烈火のような熱意に満ちていた。
金正恩、人に好かれているかとっても気になる|2023年2月14日
2023年2月14日、北朝鮮政府のポータルサイト「ネナラ」からのニュース。
今年の2月16日は金正日国防委員長の生誕81周年になる意義深い日である。
朝鮮人民は毎年この日を迎えると、常に人民を第一とし、人民のために自分のすべてを捧げ尽くした国防委員長の生涯をしみじみと振り返ってみる。
「人民に好かれているか?」
これは、一つの創造物を前にしても、一つの製品を見ても委員長が幹部たちに先に尋ねていた言葉である。
チュチェ94(2005)年9月のある日、委員長が黄海北道のミル原を訪ねたときのことである。
ミル原の作柄を眺めながら満面に笑みを浮かべていた委員長は、同農場の活動家に陸稲の栽培面積はどれくらいで、どんな品種の陸稲を蒔いたかを調べ、陸稲を初めて栽培するのに農場員に好かれているかと聞いた。本当に好かれているという活動家の答えに委員長は、農民たちに好かれていれば結構であると満足げに言った。
チュチェ98(2009)年1月、平壌製糸工場(当時)で新たに建設した静養所を見て活動家に従業員に好かれているか一番先に尋ね、ある年は、わが国で世界交響楽歴史にかつてない「アリラン」、「キキョウ」、「青山が原に豊年が来た」をはじめ新しい形式の交響楽が生まれた時も、それに対する人民の反響を聞いて新たに制作した交響楽が人民に合格されたわけであると誰よりも満足した。
生涯の最後の時期であるチュチェ100(2011)年12月、新たに整えた凱旋青年公園遊技場の各所を見て回る際も委員長は、人民に好かれているか重ねて聞いた。
「人民に好かれているか?」
この言葉は国防委員長にとって日常普通な活動言葉、生活言葉であった。
「ヘバラギ」学用品と共に|2023年2月12日
2023年2月12日、北朝鮮政府のポータルサイト「ネナラ」からのニュース。
「ヘバラギ(ヒマワリ)」ブランドの学用品は朝鮮の子供たちの親しい道連れとなっている。金正恩さんが、子どもたちに文房具を配ったというニュースです。
「ヘバラギ」学用品が出るまで
昨年、民族最大の祝日である光明星節(金正日国防委員長の誕生日、2月16日)を迎えて全国の院児、小学校の児童、幼稚園の園児に「ヘバラギ」学用品が供給された。
各種の鉛筆と消しゴム、筆箱、クレヨン、絵の具など「ヘバラギ」学用品は子供のいるいずこにも行き届いた。
これには次世代により立派なものを与えようとする金正恩総書記の深い愛情がこもっている。
総書記が近代的な学用品工場建設を構想したのはチュチェ106(2017)年8月、前線視察の途についたときであった。総書記の胸に宿っているのは子供たちが背負う「ソナム(松)」ブランドのカバンの中に童心に合う良質の学用品をいっぱい持ち込ませることであった。
総書記は育ち行く子供たちに何かもっとしてやりたい心持で学用品工場の建設を発起し、それに必要なすべての措置を講じた。新築する学用品工場を学用品生産基地のモデル、新世紀の産業建築物に完成しようと工場敷地の選定から電力保障問題に至るまで一々気を配り、工場建設に人民軍の強力な建設力量を派遣するようはからった。
そうしてチュチェ108(2019)年10月、平壌市万景台区域龍岳山地区に敷地面積7740余平方メートルの近代的なリョンボン学用品工場が建設された。
次世代のための事業を第一の重大事とみなす総書記は朝鮮労働党中央委員会第7期第5回総会を指導する日々にも「ヘバラギ」学用品に深い関心を払った。
それだけでない。チュチェ109(2020)年1月、「ヘバラギ」学用品に関する文書に目を通した総書記は良質の学用品をより多く生産、保障するよう措置をとり、平壌から遠く離れた所から学用品を送るよう輸送問題まで一々気を配った。
こうして、「ヘバラギ」学用品はチュチェ109(2020)年2月、人里離れた山村と島の村に至るまで全国の学齢前の子供に供給されるようになった。
マンボク洞に咲いたヒマワリ
チュチェ109(2020)年2月のある日、羅先市先峰地区(当時)マンボク(万福)洞の一家の窓から夜遅くまで灯が消えなかった。
部屋には一女の子が「ヘバラギ」学用品を懐に抱えたまま考え込んでいた。
7歳の幼稚園生のリ・イェソンである。
イェソンは数年前、羅先市の先峰地区が水害を被ったとき、両親を失った。
当時、総書記は羅先市先峰地区の水害状況に対する報告を受け、じかに被害復旧現場を見てこそ気が済むようだとして、1ヵ月の間に2回も現場を訪ね、一日も早く罹災民が安らかな生活を送れるよう必要な対策を講じたという。
その崇高な志を体して人民軍軍人は短期間に自然災害の痕跡をすっかり取り除き、ここに立派な住宅を建てた。そこに2歳のイェソンの家もあった。
国は両親を失ったイェソンの顔に影がさせばと思い、新宅を配当し、今日は全国の幼稚園の園児と同じく高級学用品を送った。
「ヘバラギ」学用品をもらって村人たちの祝福を受けながら家に戻ったイェソンは新しいノートを開き、一字一字心を込めて字を書いていった。
「父なる金正恩元帥様、有難うございます。お日様だけを慕うマンボク洞のヒマワリになります」
イェソンの親戚は、この子の両親は思いがけなくこの世を去ったが、党の温かい光はいつもイェソンに差し込んでいると言っている。
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