北朝鮮政府のポータルサイト「ネナラ」からのニュース

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金正恩は、偉人だよと、北朝鮮が言っている|2023年2月27日

2023年2月27日、北朝鮮政府のポータルサイト「ネナラ」からのニュース。

金正恩さんは、小さい時から、1+1は必ず1になるのではなく、粘土のカタマリのように、1+1が大きな1になる場合もある、という指摘をするような偉人だったと、北朝鮮のニュースが伝えています。

逸話から見る偉人の世界(1)

金正日国防委員長は世界が知らない偉人の中の偉人である。委員長の備えた非凡な英知とすぐれた指導力、人民愛の世界、熱い人間愛と高潔な品格はさまざまな逸話を通じても分かる。

団結の原理
委員長は幼年時代、非凡な観察力で物事の道理を分析した。

ある日、幼稚園の算数時間に教養員はリンゴと菓子、机、椅子のようなものを実例として挙げながら、一つに一つを足すと二つになるということを教えた。授業が終わる頃席を立った委員長は教養員に、一つに一つを足しても二つではなく一つになる場合があると述べた。よく納得がいかず教養員はそのわけを訊いた。

すると、委員長は自身の粘土の塊と妹の粘土の塊を合わせると大きな一塊になり、花園に水をかける場合を見ても花びらに落ちた一滴の水に今一滴が合わせれば大きな一滴になり、数滴が合せればより大きな一滴になったと述べた。

委員長が心得たのは一つに一つを足すとより大きな一つになり、数個が合せられるときには非常に大きな一つになるという団結の原理であった。

その後、委員長は革命と建設を指導しながら一つの中心、一つの思想に基づいた一心団結を朝鮮労働党の革命哲学とした。

委員長の周りに一心同体となって固く結集した朝鮮人民の団結した力は1990年代の末葉、帝国主義者の孤立・圧殺策動の中でも社会主義を固く守り富強祖国建設の万代の礎を築く奇跡を生み出した。

人民愛の基準
人民のためなら見積もりを先に考えず、空の星をも取ってくるべきであるというのは委員長がつねに強調した問題であった。

1970年代末、首都平壌にはヘルスセンター蒼光院が建設中にあった。ある日、活動家たちと席をともにした委員長はヘルスセンター蒼光院の用水問題で苦心しているそうだが、対策案があれば先に提起するようにと言った。

すると、ある活動家がいくら考えても外国で普通やっている通り一度満たしておいた水を再びろ過して利用する方法で用水問題を解決するより他に方途はなさそうだと申し上げた。一日の収容能力が1万余人である浴場とプールに毎度数千トンの新しい水を入れ替えるというのは決して容易なことではなかった。

彼の意見を聞いた委員長は、人民が利用する浴場とプール、遊泳場には1%の使用済みの水もあってはならず、100%抜き100%入れる原則で方途を見出すべきであると述べた。そして、ヘルスセンター蒼光院と大同江を一つに結び大同江の水を引き揚げるようにした。

それだけではない。

1975年1月のある日、平安南道のある郡党活動家を電話で呼んで郡内の営農状況と人民生活の問題を確かめていた委員長は、郡で精米する白米の水分含有量がある程度多いとして、即時乾燥対策を講じるようにした。

郡で精米する白米の水分含有量は国家基準より0.03%くらい上回っていたのである。その程度の微細な超過水分は穀物の運搬途中になくなるだろうと思っていた活動家は自責の念に駆られた。

人民のためならすべてが100%になるべきであり、些細な誤差も絶対に許さなかったのが委員長の人民愛の基準であった。

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金正恩は、タダで家をくれる|2023年2月26日

2023年2月26日、北朝鮮政府のポータルサイト「ネナラ」からのニュース。

北朝鮮では、国から無料で家が配当されるというお話です。

昨年の大晦日まで伝えられた新居入りのニュースが新年に入って平安南北道、黄海南北道、慈江道、咸鏡南北道、南浦市の各農場の村から引き続き伝えられている。

「このような立派な住宅が私たちに配当されるとは思いませんでした。まるで夢を見るようです」

これは新宅をもらって喜んでいる咸鏡南道高原郡上山農場の農産第2作業班の農場員ホ・グムチョルさんとその女房の声である。

国の恩恵を受けて無料で住宅をもらった人々は多いが、彼らの言葉には同じものがあった。

「金正恩総書記有難うございます」「朝鮮労働党万歳!」…

今年もわが党は世紀的な変革をもたらす一つの革命であり、人民が一番喜ぶ事業である住宅建設を第一義的な重要政策課題に掲げた。

今、各道、市、郡では昨年の住宅建設で収めた成果と経験に基づいて建設陣を強化し、自らの建材生産土台を一層強固にすることをはじめ、農村住宅建設準備を着実に進めている。

朝鮮労働党の雄大な農村建設構想に従って今年も全国各地に農村固有の特色を生かした多様で独特な形式の住宅が建設されると朝鮮の社会主義農村はいま一度変革を遂げ、農業勤労者はより文化的な生活を享受するであろう。

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北朝鮮では、毛皮をとるため犬やウサギを大量にシメる|2023年2月24日

2023年2月24日、北朝鮮政府のポータルサイト「ネナラ」からのニュース。

北朝鮮の平壌大興毛皮加工工場では、年間数十万枚のウサギや犬などの家畜毛皮を作っているそうです。

5万余平方メートルの敷地面積を有する平壌大興毛皮加工工場(1953年12月、創立)は複数の生産建物と数百台の近代的な毛皮なめし及び加工設備を備えた総合的な毛皮加工基地である。

同工場では年間、数十万枚のウサギ、犬などの家畜毛皮を収集、加工してマフラー、靴、バンド、手袋、カバン、座布団、防寒服、毛皮のオーバーなど数十種の製品を生産している。

特に、カイリネズミ、キツネ、カワウソ、アナグマなどの毛皮で造った製品はユーザーから人気が高い。

これまで同工場の製品は平壌第1百貨店商品展示会、平壌秋季国際商品展覧会など国内および国際展示会で優秀な評価を受けた。

リ・ギョンミン支配人はわが工場では品質重視を第一とし、人民が好む良質の毛皮製品をより多く生産するという決意を披瀝している。

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北朝鮮では、赤ちゃんの心臓病を国が無料で治す。|2023年2月23日

2023年2月23日、北朝鮮政府のポータルサイト「ネナラ」からのニュース。

国によっては、心臓病を持って生まれた子どもの命は、はじめからあきらめてしまうようなこともある中で、北朝鮮には、無料治療制があり、そのような子どもの多くの命が助けられているそうです。

日本では、赤ちゃんの心臓病を治すために募金活動がおこなわれたりすることがたびたびありますね。

この2月3日、ぐっすり寝入っている赤ん坊を抱いて玉流児童病院を出る一女性がいた。

赤ん坊の名前はチョン・サンジョン(女の子)、平壌産院で出生した531番目の三つ子の末子である。

昨年の9月、平壌産院と玉流児童病院の医療従事者は生まれて2ヶ月経ったサンジョンの状態を見てどうにも気がかりでならなかった。

生まれる当時の体重は1.2キログラムであり、それに複合心臓奇形によって左側の肺が検査上認められない最重症患者であった。

それ以来、道路一つを隔てて向かい合っている平壌産院と玉流児童病院では赤ん坊の生命を守るための治療戦が繰り広げられた。

平壌産院の医療従事者は一日も早く赤ん坊の体重を必要な治療を受けられる正常状態にするために真心を尽くし、玉流児童病院の医療従事者はあらゆる可能性を生かして合理的な心臓手術方案を確定するため討議を重ねた。その日々、医師協議会と卓上手術模擬訓練を数十回も行った。

昨年の11月、玉流児童病院の総合手術場の前には三つ子の父母である金日成総合大学の学生とその女房、玉流児童病院と平壌産院の医療従事者たちが立っていた。

彼らだけではない。手術が始まると同病院には止むことなく電話が掛けられて来た。手術結果を訊ねる金日成総合大学経済学部の活動家と赤ん坊の家族が住んでいる江原道党委員会と元山市の活動家…

しかし、手術は治療の第一歩に過ぎない。それは心臓手術後、患者を回復させる上で集中治療がたいへん重要であったからである。

またもや、緊張した日々が流れた。医師と看護婦たちは幼い患者に肉親のような情を注いだ。

ある日、サンジョンの状態を随時観察していた担当医は患者の胸の左から以前になかった呼吸音のような聴診所見をとらえた。

それが信じられなくて数回も再検査をした玉流児童病院の医療従事者は喜びを禁じえなかった。

奇形的な心臓に押さえられて育つことができなかった左側の肺がついに働き始めたのである。

医師と看護婦たちの医術と真心によってサンションの生命指標はついに正常数値に達し、日を追って病状も快方に向かっていった。

小さい手足を力一杯伸ばす可愛いサンジョンの姿を見ながら玉流児童病院のチョ・インス院長はこう言っている。

「世界的に胎児の中から奇形の心臓を持って生まれるサンジョンのような子が1000人当たり8人くらいである。しかし、その治療費が途方もないものであるため、ある国では赤ん坊が先天性心臓疾患と認められた場合、初めからその生命をあきらめているという。わが国では無料治療制などの国家的恩恵にあずかって消え去っていた大勢の生命が蘇っている」

母親のハン・ソンハ女性は有難い社会主義制度があってわが子が奇跡的に蘇生することができた、と自分の心情を吐露した。

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北朝鮮では、三つ子がやたらうまれる|2023年2月22日

2023年2月22日、北朝鮮政府のポータルサイト「ネナラ」からのニュース。
北朝鮮では、三つ子がやたら生まれて、三つ子が生まれるのはおめでたい、というニュースです。

チュチェ89(2000)年6月9日、両江道金亨権郡の山間の僻地の一農場員の家庭で三つ子が生まれた。

当時、平壌産院の救急治療陣が三つ子の家に到着したとき、赤ん坊らは危篤状態であった。妊娠して34週間目に出生した赤ん坊の体重は一番目は1900グラム、二番目は1700グラム、三番目は1050グラムであり、それに無呼吸状態が現れて仮死に陥ったりした。

産婦もやはりひどい出血で命が危なかった。国は産婦と三つ子を一刻も早く平壌産院に搬送するよう措置を取った。

そうして、三つ子のためにヘリが飛び、産婦と三つ子は平壌産院で健康を回復するようになった。

ところが、その女性が初の三つ子を産んで1年2ヶ月後に再び三つ子をはらみ、チュチェ90(2001)年12月に平壌産院が設けられて300目の三つ子を産むようになった。

わが国では三つ子が生まれることは国が栄える兆しであるとし、惜しみのない恩恵を施している。

三つ子の妊婦として確実な診断を受けた女性は平壌産院に入院して特別な医療サービスを受け、特別に制定された供給規準によって栄養価の高い食事を取っており、助産にも数十人の医療従事者が参加する。そして、三つ子の面倒を見る医師と看護婦が10余人がおり、三つ子の父母には銀粧刀と金指輪を、三つ子には生年月日が刻まれた銀粧刀(男子)と金指輪(女の子)をプレゼントする。三つ子たちは平壌産院で退院した後、当該地域の育児院で国の負担によって育っている。

朝鮮の平壌産院が開院されたチュチェ69(1980)年9月から現在まで535番目の三つ子が生まれた。

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北朝鮮では、平凡な人でも政治の代表者になる|2023年2月21日

2023年2月21日、北朝鮮政府のポータルサイト「ネナラ」からのニュース。
北朝鮮では、何にも特別でない平凡な道路清掃を長年続けたおばちゃんが、国の政治の中枢に上り詰めるという話です。

国民の意見をただ聞くばかりで何もしないどこかの国とは違い、この国では、平凡な人が大事にされているんですね。だから、

愛国の心を秘めて生きる女性たち

今日、朝鮮人民は社会主義祖国の富強・繁栄のために自分の職場で献身している。

その中には、ごく平凡な職場で陰日なたなく、人の評価を望まず一生献身している人たちがいる。

いつも、質素な道路管理員服を着て娘時代から30余年間首都平壌のチョンリマ通りを管理している平川区域道路施設管理所のチョンリマ作業班道路管理員たちがまさにそのような人たちである。

チュチェ75(1986)年8月、中学校を卒業した17名の娘たちが青年作業班(当時)を組んで道路管理員になることを決心したとき、国を支える彼女らの清らかな心に感嘆したが、心配する人たちもいた。

あれから30余年が過ぎた。夢も多き希望も大きかった彼女らにとって初志を貫くということは決して易しいことではなかった。しかし、班員全員が温かい愛情で心と心を合わせて担当した道路の管理に自分のすべてを惜しみなくささげた。

国は嫁に行く娘道路管理員のために恩情のこもった結婚式の祝膳を贈り、新宅も配当しながら彼女らの生活に深い関心を向けた。彼女らは平凡な労働者に過ぎない自分たちの心を大切にし、押し立ててくれる有難いその愛に首都の街をより美しくより明るく整備することで報いるという決意を新たにした。

彼女らは通勤の際にバスや路面電車を利用せず街を歩きながら、行き来する人たちと運輸機材の交通上の便益保障と都市環境にいささか支障となるものであれば必ず対策を講じて歩を移した。

雨の日も、雪の日も、酷暑の日にも彼女らはいつも担当した道路区間の管理を怠らず、一日の仕事の後には統一通りの建設現場をはじめ国の重要対象の建設現場で誠実な愛国の汗を流した。

このように、祖国のための道で真の生の誇りと生きがいを求めながら変わりなく歩いてきた日々であった。

中学を卒業して数十年間道路の管理に愛国の良心をささげている彼女らの善行は新聞と放送、テレビを通じて全国に紹介された。

これだけではない。

国家は平凡な道路管理員を全国共産主義美風先駆者大会をはじめ国家的な大会に代表として招請し、国事を論ずる最高人民会議代議員にまで押し立てた。

昨年には、社会主義愛国功労者の栄誉を担った作業班長のソン・チュンヒさんが普通江川岸地区に建設された現代的な段々式住宅区の住宅を配当された。

世代は交替し、もう新しい世代が前世代の後をついでいる。お母さんは何で道路管理員の仕事をしているかと聞かれるたびに、チョンリマ作業班員たちは言っている。

「この国に生まれた人であればいつも祖国を心に秘めて、祖国の富強繁栄に少しでも利益になるよう真心を尽くして働くべきである。そうしてこそ、この国の公民だといえ、真の愛国者になれる」

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北朝鮮のおもち「シウムトク」|2023年2月20日

北朝鮮のおもち「シウムトク」。
2023年2月20日、北朝鮮政府のポータルサイト「ネナラ」からのニュース。
北朝鮮のもち料理「シウムトク」は、米の粉を熱湯を注いで練って、それに甘酒や酒を入れて発酵させて蒸してできるもの、と紹介されています。
世界のニュースを読み上げている、私ミスターお正月ですが、日本全国のお正月を研究していて、この前、200種類以上のおもちのレシピが書かれた岐阜県の本を発見しました。
世界には、まだまだ知られていないおもちがあるんですね。
その一つが

朝鮮人民が好んで食べる民族食品の中にはシウムトク(蒸し餅の一種)もある。

シウムトクは米の粉を熱湯を注いで練り、それに甘酒や酒を入れて発酵させ蒸した餅として、作り方と模様によってさまざまな名で呼ばれた。

酒を入れて発酵させて作るといってキジュトク(起酒餅)、蒸気で蒸すといってジュンピョン(蒸餅)と言った。そして、餅の形が鈴のようにできているといってパンウルジュンピョン(鈴蒸餅)、平たく広げて蒸したトクという意味でピョンジュンピョン(平蒸餅)といった。

シウムトクは高麗(918~1392)時代から伝えられているが、具体的な調理法は朝鮮封建王朝(1392~1910)時代の記録である「東国歳時記」などから見られる。

シウムトクは、まず米の粉を熱湯を注いで練り、それに酒、ごま油を少し入れて塊ができないように十分に溶いて容器に入れ、密閉した後暖かいところに置く。練りが適当に発酵すれば蒸篭に布を敷いて入れる。これに見心地がするように切ったナツメや干し柿、松の実などを差し込んだ後、蒸し、油を塗る。

シウムトクで具は餅の味と模様、色を生かす上でなくてはならない重要な要素といった。具としてはクリ、ナツメ、松の実、イグチタケなどを用いる。

発酵食品の一種であるシウムトクは他の餅と比べて夏にもすえないのが特徴である。

首都の風光明媚な普通江畔にある清流館では「有名な食堂料理」に登録されたシウムトクを伝統的な方法で作って来客にサービスしている。清流館の調理士のキム・ミヒャンさんは、わが食堂を訪ねる人たちは誰もがうま味があり香ばしいシウムトクを好んで求めると言っている。

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北朝鮮で全国天才園児コンテスト開催|2023年2月19日

2023年2月19日、北朝鮮政府のポータルサイト「ネナラ」からのニュース。

昨年、北朝鮮で、第14回天才園児コンテストがおこなわれた。

コンテストは、知能、運動、芸能、書道、絵画の分野に分けておこなわれた。

昨年、第14回優れた才能を持つ全国幼稚園園児のコンテストが催された。

コンテストは創作および着想能力、運動機能、芸能をはじめさまざまな素質を持つ子供をより多く見つけ出して育てることに目的を置き、知能、芸能、運動、書道、絵画の分科に分けて行われた。

同コンテストで人々の耳目を集める子供たちがいた。

驚くべき聴覚と記憶力を持つ

未来幼稚園のキム・ジンウ(6歳)は鋭敏な聴覚機能と記憶力を持っていることで参加者を驚嘆させた。

彼は10個の任意の携帯電話の鍵盤音を一度聞き、それに相当する10個の数字を正確に取り、すでに記憶した100余の携帯の番号を鍵盤音だけを聞いてその携帯の番号を答えて記憶種目で最優秀賞を受賞した。

彼には以前からさまざまの逸話が付いていた。

母親のパク・ミヨンの話によると、息子が4歳のとき彼を連れて一商店で買い物をしたことがある、それから数ヶ月が経った後、その商品をまた購入しようとと思ったがその商店の電話番号を忘れていた、もしやと思って息子に訊いて見たところ、彼が商店の位置や電話番号まで覚えていた、という。

また、親戚の家に行く途中、道路で出会った乗用車やトラック、路面電車の数と色まで覚えて父親を驚かせた。

幼稚園教養員のキム・スンジョンはこう言っている。

「ジンウ君は一度見た数字、番号はもちろん、物体の色や模様、形まで正確に区別して記憶している。また、聴音と視唱に長けており、ピアノも上手に弾く」

ジンウはすでに記憶した500余の携帯電話の番号の鍵盤音を聞いてその番号が誰のものであるか覚えており、記憶した住所録の番号鍵盤音を間違って押す場合、それをすぐ分かる。

コンテスト参加者と審査員たちはこのような子供は初めて見るとこもごも言っている。

優れた知的潜在力を持つ

幾段階に分けて行われた知能コンテストにはなぞ、作文、トランプ記憶、二桁数と四桁数の足し・引き問題が提示された。

このコンテストでは蒼光幼稚園のキム・ボヨン(6歳)が優秀な評価を受けた。

特に、ソロバン影像による計算ですべての問題を流暢な外国語で答えて審査員たちを驚かせたボヨンは教育専門家から自然科学分野における優れた知的潜在力を持つ子供という評価を受けた。

彼女の父母の話によると、娘が並外れた天性を見せたのは2歳もならぬときからで、今やっと託児所で絵カードに書かれてある数十の単語を目にしていただけのボヨンがある日、新聞記事の題名をすらすら読んでいたという。

ボヨンが読む文章は託児所で子供の視覚影像化能力を啓発させるために見せるトマトやコップのような単語とは全く違う単語であった。

つまり、託児所で覚えて置いた絵カードの文字と生活過程に父母が知らせる文字を自ら組合せて文章を読んだのである。

託児所の担当保育員はその生まれつきの才能を見つけ、父母と協力して合理的な知能教育を与えることに力を入れた。

驚くほどの高い集中力と持久力を持つボヨンはその後、幼稚園に通いながらさまざまな知能教育を受け、その知的能力をさらに伸ばすようになった。

ボヨンは今日も6面体合わせ(1分)、トランプ記憶(2組)、ソロバン影像による計算などで以前の記録を引き続き更新している。

教育委員会のキム・ヨンシム副局長は「頭脳が並外れて発達し、観察力が優れた彼らのコンテストは幼稚園教育と家庭教育を結合させることがいかに重要であるかを今一度示した。今度のコンテストを通してわれわれは人間の天賦の素質は託児所や幼稚園のときから現れるということを改めて実証した。このコンテストで自分の才能をことごとく誇示した子供たちの明日が期待される」と言っている。

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